ノー霊感!寺生まれのTさんの徒然日記

お金がない!でも進学したい!そんな寺生まれの学生がお金目当てで始めたブログです。

【お寺ネタ】僕と3.11と宗教的アプローチ

なんまんだぶ、なんまんだぶ。

 

こんばんは!🌟

寺生まれのTさんです。

霊感はありません。

 

今日は、午後2時30分から自坊(所属するお寺)にて、東日本大震災追悼法要を執り行いました。

今回は、そのことを踏まえて3.11や、その後出てきた宗教界の動きについて書いていこうかな、と思います。

 

8年前。3月11日…

僕は東北に住んでいたので、東日本大震災で強い揺れを経験しました。

当時、僕は中学生で、読書に関する授業の関係で図書館にいました。

 

並のものではない、強く長い揺れを感じ、反射的にテーブルの下に潜りました。

幸い、上から落ちてくるものはありませんでしたが、授業は中止。

しばらくしたのち、帰宅することになりました。

 

しかし、地震の影響で電気が止まり、電車で帰ることもできません。

バスに乗って帰宅しましたが、信号も止まっているためかなり移動が大変でした。

 

帰宅してもやはり電気は止まっており、ガス・鍋でお米を炊く、情報源はほとんど新聞とラジオだけ。

そんな生活をたった1日だけですが経験しました。

幸い、自宅が駅と役所を結ぶ動線上にあったため、復旧の優先度が高く、翌日には停電が解除されましたが、インフラが止まることの恐ろしさを実感しました。

 

電気復旧とともに、テレビやインターネットで情報を集めることができるようになり、他の地域の惨状も詳細に伝わってきました。

より強い揺れや津波原発事故などでさらに厳しい状況に追い込まれた人々の話を聞き、「こんなことが現実にあるのか…」と、呆然とせざるを得ませんでした。

 

被災地支援の中で生まれた、宗教界の新たな取り組み

比較的被害の少ない地域で僕は震災を経験しましたが、より被害の大きい地域では大切な人を喪う、住むところを失う、心身に大きな傷を負うなど、様々な悲しみ、痛み、苦しみを抱える人が大勢いました。

 

僕の所属する浄土真宗本願寺派を始め、宗教界では様々な支援を行うこととなりました。

そうして、実際に支援を行うことで、新たに見えてきた、宗教界ならではのアプローチのあり方があります。

 

スピリチュアルケアというものです。

 

単に心のケアというよりも、人間のより深い、「たましい」とも呼べるような、全存在がかかっているような痛み。

これをスピリチュアルペインと呼びます。

その痛みを、宗教の持つ独特の雰囲気や癒しを通じて和らげていくのがスピリチュアルケアです。

 

海外では、キリスト教の宗教者が「チャプレン」という形で実践していました。

チャプレンの現場は災害に留まらりません。

軍隊や病院など、多様な現場での活躍をしています。

 

日本においてはこの東日本大震災をきっかけに、本格的に「日本版チャプレン」ともいうべき「スピリチュアルケアの実践者となる宗教家」を養成することが検討されるようになりました。

 

東北大学では、このスピリチュアルケアに対し専門的な研修を行うコースをいち早く設けました。

その後、東北大学のみならず全国の様々な宗教系大学において、スピリチュアルケアの実践者に関する民間資格「臨床宗教師」の資格取得・養成課程が設けられるようになりました。

www2.sal.tohoku.ac.jp

 

僕自身も、震災のみならず少子高齢化やその先にある孤独・孤立、そして死といった多様な問題に、スピリチュアルケアという観点からアプローチできないかと考えており、機会があれば取得したいと考えています。

 

震災での痛みや人生の苦しみと、いかに向き合うべきか。

浄土真宗の答えは。

さて、今回の法要では、そんなテーマについて住職である父がお話をされました。

震災に限らず、人生では多くの痛みや苦しみ、喪失を経験することになります。

 

そんな場合、宗教では様々な物事の捉え方を提案しますが、大別すると以下の二つになるとのことです。

 

① 超越者(神様)から与えられた試練であると考え、それにしっかりと向き合っていく。

② この世のあらゆる事象は、様々な条件の重なりである。

 

キリスト教などでは①の考え方に基づきますが、仏教は浄土真宗も含め、②の考え方に立ちます。

②のような考え方を「縁起」と呼びます。

 

この②に対し、どのようにアプローチするか、というのが宗派によって別れてきます。

浄土真宗では、

阿弥陀さまの「誰も見捨てず、救う」という誓いを信じ、それを踏まえて、あるがままの自分の中で、苦しみ・痛み・悲しみと向き合って生きていく

という考え方を持っています。

 

この、あるがままにという部分が肝要で、無理に自己変容することを強いていません。

だからこそ、なかなか自分のようにすぐに強くなれない人、変わることが難しい人でも、ちゃんと救ってくれるいい教えだな、と思っています。

 

 

終わりに

震災から8年。

今回の追悼法要をきっかけに、ブログで自分の震災体験を振り返ってみました。

比較的被害の少ないところにいただけに、世間で取り上げられる被災者の体験談とは少し違う感じがするなあ、と自分でも感じます。

しかし、逆に言えば、それは少し異なる側面から震災を捉えているということ。

 

自分なりの被災経験を忘れずに抱えて、また1年を生きていきたいと思います。

 

なんまんだぶ、なんまんだぶ。